9.18(水)時間の価値
2024年9月18日(水)
生徒の皆さんへ
「時間の価値」
時間だけは万人に平等に与えられている、というような言い方がされることがある。たしかに時計や暦で計られる時間の長さは、誰にとっても同じかもしれない。だが、寿命の違いだけを見ても、かならずしも時間は平等に振り分けられてはいない。そもそも時間の価値は、それを何に用いるのかによってまったく異なってくる。
たとえば、無為に過ごす1時間と勉強や労働に費やす1時間とでは、その価値がまったく違う。同じ勉強・労働をするのに1時間あれば十分な人間と2時間必要な人間がいたとすれば、前者は同じ時間に2倍の価値を付与できることになる。
人の一生もまた、生物として生きた長さではなく、その人が天から与えられた時間の中でどれだけ価値のある仕事をしたかで計られるべきものだ。ただ漫然と生きる80年より、樋口一葉(1972~96.小説家)の生きた24年、正岡子規(1867~1902.俳人・歌人)の生きた35年のほうがはるかに重たい。
ついつい我々は、人間80、90まで生きるのが普通であるとの先入観からか、そこまで齢を重ねずしてこの世を去る人の人生が、あたかも不幸にして十全なる価値を生み出さなかったかのような語り方をしてしまうことがある。
自分の人生を精一杯生き抜いたにもかかわらず、生存期間が平均より短いというだけで「志半ばにして倒れた」などという評を草葉の陰で耳にしては、とても故人は浮かばれまい。
校長 中村三喜