校長より生徒の皆さんへ【第26回】

校長より生徒の皆さんへ【第26回】

在校生の方へ

在校生の方へ

学校から在校生の皆さまへのお知らせを掲載します。

  • 2024年4月19日(金) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第26回】

    校長より生徒の皆さんに第26回目の言葉です。

     

    2024年4月19日(金)

    生徒の皆さんへ

     

    「睨んでいるだけでは」

     禅の開祖・達磨大師は修行のために壁に向かって坐禅を組んだ。以来、雨風に曝(さら)されようが、膝に蜘蛛(くも)が登ってこようが、わき目もふらず面壁(めんぺき)9年。悟りを得た達磨大師は、足を解いて立ち上がった際、こう言ったという。

    「なるほど、ただ睨んでいるだけでは、壁に穴を穿(うが)つことはできぬ」

    さて、当たり前の事実を言うこの言葉。これをたわいもないことと笑っていいのだろうか。仕事や学習において、日常、成すべきことに囲まれているのが私達である。けれども、そのすべてを遂行できているかと言えば、甚だ心もとない。

    理念に基づく尊い仕事ですら、気を許せば、理想を追求するより、できる現実に照準を合わせている。実力向上を望んで準備する試験も、結果が伴わなければいつも別の理由を探している。

    それはやれなかったのではなく、結局、睨むばかりでやらなかったことと同じではないだろうか。

    穴を穿つには、断固たる覚悟が求められよう。睨んでいるだけでは何も成しえないのである。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月18日(木) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第25回】

    校長より生徒の皆さんに第25回目の言葉です。

     

    2024年4月18日(木)

    生徒の皆さんへ

     

    「レポート学習」

     2020年に日本でも発症が確認された新型コロナウイルス感染症防止のために、国内のすべての学校が休校や分散登校を経験しました。そこで学んだことはレポート学習の重要さです。まず、自ら学ぶ学習です。

    つまり、教師による一方通行型の授業とは違い、それを反転させた形でのレポート学習によって、「考える力」が向上することがわかってきたからです。「考える力」は「探究心」「創造力」「自主性」「頑張る力」などを引き出し「生きる力」に直結します。

    本校の皆さんは、既に、それを先行して実践していましたし、コロナ禍によって休校中でも当たり前として取り組んできたと思います。改めて、レポート学習の重要性を認識しましょう。知らず知らずのうちに、それが生きていく上での自信を生み出すのです。

    校長 中村三喜

     

  • 2024年4月17日(水) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第24回】

    校長より生徒の皆さんに第24回目の言葉です。

     

    2024年4月17日(水)

    生徒の皆さんへ

     

    「定説」

     従来よいとされていたことが、あるときを境に、実はまったく間違いだったと、常識や通説が覆されることがある。評価が百八十度転換して困惑し、戸惑うばかりである。

    何事においても、人はその時々のメディアやオピニオンリーダーの主張、論説をそのまま信じてしまいがちである。これがいいといわれれば無批判に従い、あれがいいとなればすぐまたそれに追随する。だが、そうした姿勢に終始していては、大抵の場合、振り回されて終わるのが落ちであろう。

    現代は、さまざまな情報が溢れている。そんな中で、多数の支持する考え方が普遍の真理とはいえないし、権威ある人の知見だからといって、必ずしも正しいとは限らない。一般論や定説を鵜呑みにせず、虚実を判断したいものである。

    そのためには、常に自分の頭で考え、追求し、納得したうえで選択することを習慣づけたい。本当に正しいか、受け入れるべきなのか、場合によっては、まず疑ってかかることも必要だろう。

    併せて、選んだ結果はどうであれ、その責めは自ら負わなければならないこともしっかりと肝に銘じておきたい。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月16日(火) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第23回】

    校長より生徒の皆さんに第23回目の言葉です。

     

    2024年4月16日(火)

    生徒の皆さんへ

     

    「伝え方」

     スマホやメール、そしてインターネットによる種々のサービスにより、気持ちや情報を伝えるのに、これほど便利な世の中になると誰が想像したことだろう。

    ただ、それによって人と人との相互理解が進んだかといえば、残念ながらそうではない。いさかいは減るどころか、コミュニケーション不足による事故や事件は、日々増すばかりである。

    その一因は、情報ツールにおける些細な誤解があるからではないだろうか。たとえば、スマホでメールを書き、送信ボタンをクリックすれば、送信者側はその瞬間に伝えたと思い込み、見ていない受信者側をつい非難してしまう。また、単なる言葉の打ち間違いが、相手の心のしこりとなって、後で大きなトラブルに発展することもある。

    伝える手段が多いのはありがたい。けれども、伝え方には長短があり、手間がかかっても直接話し合ったり、手紙を書いたりすることもやはり重要だろう。

    情けに報いると書いて情報である。伝わればよいのではなく、よく伝えようとする心がけを忘れずにいたい。

    また今は、AI(人工知能)が急速に発展している。バーチャルとリアルの仕切りも見えなくなる時代を迎えようとしている。ますます、伝える力は重要になってくる。

    校長 中村三喜

     

  • 2024年4月15日(月) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第22回】

    校長より生徒の皆さんに第22回目の言葉です。

     

    2024年4月15日(月)

    生徒の皆さんへ

     

    「運命」

     この世に永遠というものはない。どんな形であれ、身近にいるすべての人との別れがいつかは訪れる。

    まさか自分がこういった人生を送るなんて思いもよらなかった・・・。過去を振り返り、今ここにこうしていることの不思議さに、ふと感慨を覚える。誰にでもあるのではないか。

    今の境遇は自ら選んだようであり、一方で、折々の様々な出会いと偶然によってもたらされたようでもある。しかし、さらに突き詰めていくと、このようになっていた。これが運命だったのだという思いに行き着く。

    お互い、これからどのような人生が待っているか、いつ何が起こるかわからない。よいこともあれば、時には過酷な出来事に遭遇することもあろう。

    だが定められた運命なら、すべて引き受けるしかない。運命に従いつつ、その時々の自分にできる精一杯のことをやっていけばよいのではないか。そう感じれば安心感も得られよう。

    たとえ困難に陥り、不本意な状況におかれたとしても、それは自分に与えられた貴重な試練。自棄(やけ)になって自ら不幸を招くのだけはやめたい。

    それが悔いを残さず、最後の最後に、生まれてきてよかったと心から思える人生の歩み方といえよう。

    校長 中村三喜

     

  • 2024年4月12日(金) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第21回】

    校長より生徒の皆さんに第21回目の言葉です。

     

    2024年4月12日(金)

    生徒の皆さんへ

     

    「場」

     先ほどまで竹刀の音が響いていた道場で、剣士たちが正座し黙想、そして静かに道場に一礼する。ユニフォームを泥だらけにした野球少年らが一列になり、大声と共にグランドに向かってお辞儀をして練習を終える。

    多くのスポーツ選手が示す、場に対するゆかしい振る舞いは、観ている者にも一服の清涼剤である。その清々しさがどこから来るのかといえば、自分たちが鍛えられるところ、成果を出すところの場の意義をよく理解し、感謝と敬意を忘れないからではあるまいか。

    これは日本人の礼の躾の一端によるものであり、海外のスタジアムで、日本人観光客が観戦後に座席を掃除して称賛されるのも、同じ意識の発露なのであろう。

    人間同士の礼にとどまらず、こうした、いわば場への礼の精神が浸透すれば、社会はより豊かになるに違いない。

    コロナ感染の5類移行後も、それ以前と変わらずに多くの外国人が来日し、海外との交流はますます深まろうとしている。グローバルな時代に、日本人の一人として場に対する美意識を世界にも広めたい。そして自分にとっての場をどのように大切にするか、時に思いを巡らせたい。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月11日(木) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第20回】

    校長より生徒の皆さんに第20回目の言葉です。

     

    2024年4月11日(木)

    生徒の皆さんへ

     

     

    「回り道」

     努力すれば報われると信じて、懸命に取り組んでいるのに、なかなか思うような成果が上がらない。むしろかえって状況が悪くなる。もう一度、と思い直してぶつかるたびに跳ね返されて、気が滅入り自信が揺らぐ。そのうちにいつしか訪れる深刻なスランプ。仕事や人間関係などで、誰もが何度かは経験する人生の試練である。

    行く手を遮る障害物に出遭った場合、何とかこれを乗り越え、突き破ろうと正面から取り組むことは、むろん大事である。けれどもそれに囚われて、それしか道はないと思い込むのは早計だろう。

    障害物の中には、乗り越えられないものも、突き破れないものもある。それに対してただ体当たりを繰り返すだけでは、心身共に疲れてしまう。一息入れて時を待つとか、一歩下がって力を蓄えてから出直すとか、対処の手立ては他にもある。

    あせらずにいま一度、障害物の正体を冷静に見極めてみたい。そして改めて、我がとるべき策を考えてみたい。回り道が近道かもしれないのである。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月10日(水) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第19回】

    校長より生徒の皆さんに第19回目の言葉です。

     

    2024年4月10日(水)

    生徒の皆さんへ

     

    「人財」

     親にとって、子供はいつまでたっても子供である。たとえ成人しても、子供が父親になり母親になっても、元気でやっているだろうかと気にかかる。もし辛い思いをしていれば、我がこと以上に心配し、代われるものなら代わってやりたいと思う。それが世の親の気持ちであろう。

    希望に胸を膨らませて新入生、新入社員が入ってきて10日。皆、そうした親の思いを一身に受け、愛情をもって育てられ成長してきた人達である。その人材をいかに導き、育てるか。後進の指導、育成は人生の先輩として果たすべき役割であり、責任である。

    とはいえ、速く成長してほしいと願うあまり、少しでも気になるとあれこれ口を出し、世話を焼くのは好ましくない。良かれと思ってすることが、かえって本人のためにならないこともある。放任もいけないし、過保護でもいけない。難しいことだが、その見極めが求められよう。

    いずれにせよ大切なのは、一人ひとりすべての人が、両親をはじめたくさんの人に愛情を受けたかけがえのない人だということである。そのことを常に意識してその人と向き合いたい。

    校長 中村三喜

     

  • 2024年4月9日(火) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第18回】

    校長より生徒の皆さんに第18回目の言葉です。

     

    2024年4月9日(火)

    生徒の皆さんへ

     

    「新しい夢」

     今の小学生に将来の夢として、なりたい職業を尋ねると、男の子ならプロスポーツ選手やゲームクリエーター、女の子なら保育士、医師、パティシエといった答えが返ってくるという。時代の違いはあるけれど、子供達の夢はいたって明快、語らう姿を想像するだけでも微笑(ほほえ)ましい。

    ところが夢のとおり叶うかはさておき、大人になって職に就き、幾春秋が過ぎるうちに、いつしか新しい夢を持たなくなってしまう。

    いやいや仕事には常に目標があり、目標を達成すればまた次の目標が与えられ、倦(う)むことはない。そう言い切れるならばそれはそれで結構なことだ。

    とはいえ、目標は一つの目安にすぎない。まして目標達成のために汲々(きゅうきゅう)とし、真の仕事の喜びや自分を高める楽しさを見失ってはつまらない。

    仕事に限らず、いつも夢を持ち続けよう。日常の些事(さじ)に追われて疲れを覚えても、夢を思い起こせば元気が戻ってくる。

    人生は夢あればこそ輝くことを忘れないでいたい。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月8日(月) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第17回】

    校長より生徒の皆さんに第17回目の言葉です。

     

    2024年4月8日(月)

    生徒の皆さんへ

     

    「傷つけない」

     見方によれば、人は日々、互いの心を傷つけ合って生きているのではないか。自分の無遠慮な振る舞いが人を不快にし、意味ありげな他人の言葉に棘(とげ)を感じる、そうした、人を傷つけたり、傷つけられたりした経験は誰にでもあろう。

    ただ、それが大きな問題にならないのは、多くの人が寛容な心で水に流しているからに違いない。

    もちろん、時には傷つけられた怒りを溜めこむ人もいる。

    まして、自分が貶(おとし)められ、相手が反省していないときなど、憤(ふん)まんやるかたないことだろう。だからといって怒りをぶちまければ、また新たに傷つくだけである。

    まずは傷つく人を減らそう。そのためには、人の心の痛み、悲しみに共感できる力を、お互いもっと養おう。そうすれば、誰かが傷つきそうな場合に、早めにブレーキがかけられる。

    傷つくのは自分だけではない。誰だって傷つくのである。それに、「人を呪(のろ)わば穴二つ」、人を傷つけようとすれば自分にも必ず返ってくる。そんな心の因果をよく心得て、人格を高め合いたい。

    校長 中村三喜

     

     

  • 2024年4月5日(金) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第16回】

    校長より生徒の皆さんに第16回目の言葉です。

     

    2024年4月5日(金)

    生徒の皆さんへ

     

    「持ち味を発揮する」

     持ち味や個性というとき、私達は多くの場合、個々の際立った能力や力量を言う場合が多い。

    しかし、それだけでは,とりたてて才能といえるものがない人に持ち味や個性はないということになってしまう。

    何が自分の持ち味なのかわからず、自分に自信が持てないとか、自己肯定感が低いと悩む人の多くは、持ち味や個性の捉え方に迷うあまり、思い詰めてしまっているのではないだろうか。

    自分のことを知りたければ、まず外に出て、人と交わったり、一緒に体を動かしたりするといい。すると、自分が本当に好きなことや自信の持てる何かが見つかると思う。「持ち味は縁によって開く」ということである。

    しかも、能力や才能だけでなく、たとえば花のように、そこにいるだけですでに持ち味を発揮している・・・・そのようなひとり一人であることを発見するのである。

    そして、その気づきによって、自己評価はもちろん、他の人を見るときにも豊かな見方ができるようになる。それは、たとえば単に短所や長所を見るような、いわばテクニックではなく、短所も長所も含めて「あなたは大切な人」と称え、すべてを生かす眼差しである。

    そのように見る素直な眼、心を具(そな)えていることが、私たち人間本来の持ち味ではないだろうか。

    校長 中村三喜

     

  • 2024年4月4日(木) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第15回】

    校長より生徒の皆さんに第15回目の言葉です。

     

    2024年4月4日(木)

    生徒の皆さんへ

     

    「自然の理」

     梅が咲いて鶯(うぐいす)が鳴き、桜がほころんで雲雀(ひばり)がさえずる。春から初夏へ、野山には草木が萌え、花々が咲き競い、小鳥たちが舞い歌う。小さい花も大きい花も、木々も小鳥たちも、それぞれに華麗で絢爛(けんらん)、精一杯の生命の躍動である。

    しかし、この豊かな自然の装いも、形はさまざま、色とりどりの花や鳥があればこそであろう。「梅に鶯」の情景には、もとより格別の風情があるけれど、もしこの世に花は梅、鳥は鶯だけだったとしたら、とてもこの華麗さ、豊かさは生まれまい。さまざまでとりどり、百花繚乱の彩りこそが、やはり自然の理なのである。

    お互い人間も、同じ自然の理の下に生かされている。さまざまに違う人が、とりどりの個性を持っていて、その違いがそれぞれに処を得て存分に生かされるとき、華麗で絢爛、豊かな文化の花が開くのだ。

    違いを嘆かず羨まず、それぞれに力を尽くし、共々に助け合って、彩り豊かな人間社会を築く努力を重ねたい。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月3日(水) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第14回】

    校長より生徒の皆さんに第14回目の言葉です。

     

    2024年4月3日(水)

    生徒の皆さんへ

     

    「短所」

     この世の中に完全無欠の人などはいない。百年に一人の天才であろうとも、所詮人は人である。言い換えれば、どんな人でも少しばかりは短所があろう。むしろあらを探せば、誰もがたくさんの短所と折り合いをつけて生きているのである。

    そう考えれば、自分の短所やコンプレックスにいたずらに心を煩わす必要はない。もし、そうした思いから抜け出せないのなら、冷静に自分を見つめ、まず事実をそのまま受け容れることであろう。

    そして次には短所を個性ととらえ、いかに長所に転換することができるかを模索すればよい。そもそも短所があることによって己を戒め、謙虚になることができるし、自己修養に務める姿勢にもつなげられるのだから。

    これからの時期、多くの組織や学校では新入社員や新入生も基本を身に付け、本格的な仕事や学びが始まる。不安と期待が入り混じるなか、自分の短所をどこまで適切に処しきれるものか試してみよう。

    真摯な努力さえ続けていれば、短所を克服したり、何かでカバーしたり、あるいは長所に変換したりしてきっと一皮むけることもかなうに違いない。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月2日(火) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第13回】

    校長より生徒の皆さんに第13回目の言葉です。

     

    2024年4月2日(火)

    生徒の皆さんへ

     

    「幸運」

     乗ろうと思っていた電車に間に合いそうにない。諦めようかと迷ったが、ともかく急いで向ってみる。すると、その日に限って、電車が定刻より少し遅れていて乗ることができたといった経験が誰にでもあるのではないか。

    どうせダメだとゆっくり歩いていれば、きっと、間に合わなかった。こうしたことは日常の些細な出来事で、たまたま運がよかったのだともいえよう。

    ただ、人生において確かなのは、自らは何の努力もせずに、願っているだけでは、幸運を引き寄せられない。そして、しょせん無理だと考えてしまったら、どんな望みや目標も叶えられないということである。

    諦めてしまうのは簡単だ。人情として、とかく易きに流されてしまいがちだけれど、それでは充実感も達成感も味わえまい。挑んだ結果、たとえ事が成らなくても、できるだけのことはやったと思えれば納得もいく。

    何事も、とにかく最善を尽くしてやってみよう。希望を失わず、全力を傾けよう。もしかすると、あと一歩で目指す目標に手が届くかもしれないのである。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月1日(月) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第12回】

    校長より生徒の皆さんに第12回目の言葉です。

     

    2024年4月1日(月)

    生徒の皆さんへ

     

    「言葉」

     大切な人を突然亡くし、悲嘆に暮れている相手には、どんな慰めの言葉も耳元を通り過ぎてゆくだけである。

    そのような言葉は一面頼りないものだけれども、人の人生を左右する力をもっていることも事実であろう。“あの人の一言を支えに、今日まで生きてくることができた”、“この言葉に出会わなかったら、今の自分はない”。それほどの影響力があるのも、また言葉だといえよう。

    「物言えば唇寒し秋の風(松尾芭蕉)」のように、口は災いのもとだからと口をつぐみ、互いに思ったことを言えないのは、人間として生まれ、ともに生きているものとしてあまりに侘しい。

    たとえ、自分の気持ちなど分かるわけがない、同情はいらないと強がっていても、誰もが心の底では、自分のことを理解してほしいと思っているのである。

    真実の言葉は必ず相手の心に届く。人の気持ちに寄り添い、真心からの言葉をかけ合いたい。相手を慮(おもんばか)りながら、自分の思いや考えを素直に伝えあいたい。

    そこからお互いの理解と、温かく豊かな関係がきっと築かれてくる。

    校長 中村三喜

  • 2024年3月29日(金) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第11回】

    校長より生徒の皆さんに第11回目の言葉です。

     

    2024年3月29日(金)

    生徒の皆さんへ

     

    「時間」

     「楽しすぎて時間の経つのも忘れる」「忙しすぎて時間が足りない」「今日も一日が長い」。

    ともすれば人は時間に対して様々な不平を言う。けれども、不平等だらけの世の中で、最も平等なものが時の流れであろう。

    たとえば一日の長さは、世界中同じで、老いも若きも関係ない。天才も凡人も、富める人も貧しい人も変わりなく、しかも、過去も現在もやはり同じ。古代ローマの人々も、中国の皇帝も、現代人と同じ長さの一日を生きていたわけである。

    それを時が経つのが早いと焦ったり、遅いと愚痴を言ったりするのは、人の勝手な受け取り方ではないだろうか。本来、時間を使う自分の心がけの問題であろう。

    肝心なのは時間の支配者は自分だと自覚することである。活用法を工夫して、効率重視に徹したり、あえて何もしなかったりと、そんな実験もしてみればよい。試み次第では、有効な時間の使い方が新たに発見できるかもしれない。

    常に充実した時を演出できる人でありたい。そんな「時の名人」ともなれば、人生も大きく変えられよう。

    校長 中村三喜

  • 2024年3月28日(木) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第10回】

    校長より生徒の皆さんに第10回目の言葉です。

     

    2024年3月28日(木)

    生徒の皆さんへ

     

    「鏡」

     鏡とはありがたい。いかなる時でも、まぎれもない自分を映してくれる。暮らしの中で鏡がなければどれほど不便であろう。自分の身のこなしが望ましい姿かどうかを映し見るために、鏡は不可欠な物である。

    自分を映すという点では、お互いの心も鏡に似ているのではないだろうか。人と人が交流する際、感応しあうのが人間というものだろう。己の傲慢なふるまいは相手の傲慢を呼び、謙虚なふるまいは相手の謙譲を惹起する。

    時に一方的な思い込みはあるものの、相手が自分に抱いている感情は、自分がその相手に抱いている感情が何がしか投影されているとは言えまいか。だからこそ、礼節を尽くせば、礼節を尽くされる。まさに鏡のごとくなのである。

    人は一人では生きられない。人として生きることは、いかに他人とともに生きるかでもある。他人に誠実でありたいと望むなら、何が正しいのかを問いつつ、常に自分を省みる努力が求められよう。その試みのために、相対する人の振る舞いを我が姿見として、自らを律したい。

    校長 中村三喜

     

  • 2024年3月27日(水) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第9回】

    校長より生徒の皆さんに第9回目の言葉です。

     

    2024年3月27日(水)

    生徒の皆さんへ

     

    「継続」

     目指す結果を楽々と、早く手にできればいいけど、そうはいかないのがお互いの人生であり、勉強であり仕事である。

    まして初めて経験することに取り組むとき、すぐに要領はつかめない。工夫を重ね、研鑽(けんさん)に努めても、なかなかうまくいかないのが普通であろう。

    それなのに、人は往々にして、思うように成果が上がらないといって、自分は向いていないのではないか、他のことをやったほうがよいのではないかと心を悩ませる。

    だが、自分に向いているかどうかなど簡単にわかるものではない。また、向いていなくてもやらなければいけない場合もあれば、向いていると思うことをやれない場合もある。それが現実の姿である。

    だから、いたずらに心を惑わされず、ともかく目の前のことに没入しよう。これをやるのも一つの運命、必ず何らかの意味があるのだとの思いを定め、コツを会得できるまで、懸命に、なすべきことをなしていこう。

    継続はけして裏切らない。これが自然の理であり、成功の鉄則なのである。

    校長 中村三喜

  • 2024年3月26日(火) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第8回】

    校長より生徒の皆さんに第8回目の言葉です。

     

    2024年3月26日(火)

    生徒の皆さんへ

     

    「興味」

     “こんなことができたらきっと楽しいだろうな”、“自分もやってみたいな”。ともすれば日常に流されがちな日々の中で、ふと心を惹かれることに出会うことがある。

    そんなとき、“いつか機会があれば・・・・”といってやり過ごしたのでは、結局、何も変わらないまま終わってしまうことになりかねない。

    確かに、初めてのことに手を出すのは億劫だったり、忙しくて時間が割けないという思いや、自分にできるだろうかと躊躇する気持ちも湧いてくる。だが、人生を充実させて生きるために大切なことは、やりたいことが見つかればやっていくという積極的な姿勢ではないか。

    せっかく興味を抱いたのなら、一歩踏み出し、思い切ってやってみよう。そこからこれまで経験できなかった新しい世界が開け、日々の生活にも新たな彩りが生まれてくるにちがいない。

    何よりいけないのは、やっておけばよかったと、あとで悔やむことだ。人生は一度しかないのである。

    校長 中村三喜

  • 2024年3月25日(月) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第7回】

    校長より生徒の皆さんに第7回目の言葉です。

     

    2024年3月25日(月)

    生徒の皆さんへ

     

     

    「期する」

     仕事やスポーツの上達は、一気にはいかないものである。一歩一歩、地道な修練を続けていくしかない。時に飛躍的に伸びることもあるけれど、それも過去の努力があったればこそで、一朝一夕に大きな変化は望めない。

    だが、自分の心や行いは、変えたいと心に決めれば、すぐにでも変えられる。それを、自分はこんなものだとか、そんなに簡単には変わらないといって、うじうじ、ぐじぐじしていたら、変わるものでも変わらないのだ。要は変えようと決意するかどうか。その一点にかかっているといえよう。

    同じものでも、心のありかたによって、明るくも見えれば暗くも見える。だから、同じことなら、まだまだ変われる余地を持っているのだと明るく捉え、自分の心がけや行動をどんどん変えていこう。それを積み重ねていけば、お互いの人生をより好ましい姿にきっと近づけていけるに違いない。

    人の心は伸縮自在。持ち方一つで、心はいつもブルーオーシャン。青い大海原がどこまでも広がっているのだ。

     

    経営学で言うところのブルーオーシャンは競争のない世界。レッドオーシャンは競争の激しい世界。どちらが企業として望ましいかと同じことだ。

    校長 中村三喜

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