保護者会中止のお知らせ

保護者会中止のお知らせ

在校生の方へ

在校生の方へ

学校から在校生の皆さまへのお知らせを掲載します。

  • 2021年8月4日(水) [NEW]

    保護者会中止のお知らせ

    保護者各位

     

    県知事より8月6日(金)から茨城県全域に緊急事態宣言を発令するとの発表を受け、
    8月7日(土)に実施を予定していた保護者会を、中止することにいたしました。

    参加申込をしてくださった保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、
    ご理解のほどよろしくお願い致します。

    保護者会で学校での生徒の様子などをご紹介する予定でしたので、その内容はメールで送らせていただきます。
    よろしくお願い致します。

     

    水戸平成学園高等学校 中村 三喜

  • 2021年8月4日(水) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第14回】

    おはようございます。
    校長から生徒の皆さんへ、第14回目の言葉です。

     

    8月4日(水)

    人生は、困難や苦悩の連続と言ってもいいかもしれない。だからこそ、それを解決した時の喜びは大きいのだ。そして、知らず知らずのうちに、その経験が積み重なって、自分を成長させるのだ。年齢を重ねるにしたがって、それが充実した人生であることを実感すると思う。

     

    「苦難を味わう」

     人はときに困難に出会い、逆境に陥る。それにどう向き合うのか。そのことによって、その人の真価が決まるといえる。

    志をなくして自棄を起こすのか、他を当てにして助けを求めるのか。それとも捲土重来を期して、なすべきことに打ち込むのか。いずれを選ぶかによってです。

    志を失い、ただ不平不満を募らせていても、逆境から抜け出すことはできない。また、自らはなんの努力もせずに、他人に頼るというような人に、誰も力になってはくれまい。

    だとすれば、辛いことではあるが、一度その境遇にどっぷりと浸り味わってみる。そして、頼れるのは自分だけと覚悟して、なすべきことをなしていくことである。

    すると案外、苦しみが思ったほどでなかったり、むしろそこにやりがいや楽しみが感じられてくることもあるのではないか。さらにそんな真剣な姿には、周囲の協力も自ずと集まってこよう。

    身に降りかかった困難、苦難に身を委ね、楽しみ味わえば、それをバネとして、さらに人間として一回り大きく成長できるに違いない。

    校長 中村三喜

  • 2021年8月3日(火) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第13回】

    おはようございます。
    校長から生徒の皆さんへ、第13回目の言葉です。

     

    8月3日(火)

    「親が持つ無償の愛」

     子供達は、様々な試練や悩みと葛藤しながら、これまでを生きてきた。そして、これからの充実した生活を送るためには、これまでと同様に親の愛情が必要だと思う。

    ただ、それは、言葉の問題ではないのだ。いくら優しい言葉であっても、それが真の愛情を伴っているか否かを子供は瞬時に見分けてしまう。また、手取り足取りの世話も、親のエゴや見栄を満足させるためのものであったなら、真の愛情ではないことを子供達は十分に見抜いてしまう。

    その代わりに、子供が危機に晒(さら)された時には、自分の命をかけても守ってやるという親としての「究極の愛情」が子供の琴線(きんせん)に触れていれば、子供達は迷うことなく生き生きとして毎日を送ることができるだろう。また、迷うことなく人生における「自分の道」を自分自身で切り開いていくものと思う。

    いつでも親は、我が子の人格や心をすべて受け止めて、いつも優しい眼差しを投げかけてやり、親がハードルをつくるのではなく、子供自身がつくったハードルを子供自身の力で越えられるように見守ってあげることが重要なのだ。そこから親子の信頼関係も構築されるだろうし、強固なものにも育っていくのではないか。

    校長 中村三喜

     

  • 2021年8月2日(月) [NEW]

    校長より生徒の皆さんへ【第12回】

    おはようございます。
    校長から生徒の皆さんへ、第12回目の言葉です。

     

    8月2日(月)

    7月29日のこの欄で間違いがありました。昭和から令和へと述べましたが、正しくは平成から令和へ、です。もっと慎重にチェックすべきでした。訂正してお詫びします。

     

    「記憶の木」

    人は心の奥に、自分だけの記憶の木を育てているのではないだろうか。生まれた時の記憶はなくとも潜在意識が根っことなり、やがて意識の芽が生じれば、年年歳歳、人が互いに発する種々の言葉や映像が枝葉となって、いつしか記憶の木が育っている。

    そんな記憶の木から、時折懐かしい思い出がぽつりぽつりと落ちてくる。ことさら長い年月を経れば、母親に叱られたことや、級友と歓喜の涙を流したことといった、遙か昔の思い出が鮮やかに甦り、憩いの時をもたらしてくれる。

    そうした思い出たちは過去の記憶の一篇でありながら、実は今の私たちを満たしているのだから、過ぎ去ってはいないものと言えよう。そう考えると記憶は私たちの人生そのもので、常にみずみずしく回顧できるものであってほしい。

    記憶の木を養うには、諸々の工夫があろう。けれども、何にも増して日々ここに自分がいることへの感謝、何が起きても受け止める覚悟、この二つの真摯な思いが、記憶の根を張るには最良の養分のように思えてくる。

    校長 中村三喜

     

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