在校生の方へ
学校から在校生の皆さまへのお知らせを掲載します。
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2023年3月31日(金) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第16回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第16回目の言葉です。2023.3.31(金)
生徒の皆さんへ
難しい問題を書きました。じっくり考えてみましょう。親や友達とも話し合ってみましょう。総合の学習のテーマにしてみましょうか。勇気も関係するでしょう。長い人生を考えれば、いつか出会う問題ではないでしょうか。
「空気にあらがう」
日本人の集団の意思というものは、時に偶然に醸し出された場の“空気”によって支配されることがある。
たとえば、学校や職場で、しばしば見られるいじめの発生もそうであろう。いじめる人といじめられる人が存在し、そして、そこにいじめを見ている多くの人がいるのである。
見ている人たちの心中には葛藤がある。いじめは反対、けれども告発して、自分がいじめられる側に回るのは嫌だ。ならばいじめる側になるか。いやそれもできない・・・・・・。
そうしたそれぞれの葛藤が、結局、傍観者でいようという決断になれば、いじめを許容する空気が生じるわけである。
日本人は物事を決める際、互いの顔色を窺い、あるいは事前に根回しをして事をスムーズに運ぼうとする。KY(空気が読めない)という言葉が流行ったのも、老若男女を問わず、総意に従うのを是とする心情からであろう。
それは悪いことではない。だが、人として望ましくない空気には、あえて空気を無視し、あらがう人が必要なのではないだろうか。それが自分である勇気を持ちたいものだが、どう思いますか。
校長 中村三喜
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2023年3月30日(木) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第15回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第15回目の言葉です。2023.3.30(木)
生徒の皆さんへ
自分はこの世に2人といない人なのだから、人と比べることに意味はない。「頑張れば手の届く目標を自分で決めて、その達成に向けて自分のペースで努力し続ける」ことで、知らず知らずのうちに自分は成長するのです。
「経験値」
草木が一斉に芽吹き、ほころび始めるこの季節、これまで慣れ親しんできた生活や環境から離れて、未知の生活に飛び込む季節でもある。
すぐに慣れる人がいる一方で、新しい生活になかなか馴染めない人もいるだろう。周囲の人が難なくこなしているのに、自分一人だけうまくいかず、いつの間にか最初の意気込みを失っていく人も少なくないのではないか。
だが、焦ることはない。他の人を羨むこともない。大事なのは、地道に、コツコツと、誠実に目の前の仕事や勉強に取り組み続けること。そうすれば、時間と労力をかけて蓄積された「経験値」は、自分の本当の力として身につき、必ず後で生きてくる。
そして、今はとても敵わないと思っている人を、知らないうちに追い越しているということもよくあるのである。
自ら為すべきことを為すなかで得られる新たな発見や気づき、それらを一つひとつ確実に血肉にして、自分だけの経験値を貧欲に高めていきたいものである。
校長 中村三喜
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2023年3月29日(水) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第14回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第14回目の言葉です。2023.3.29(水)
生徒の皆さんへ
「心を楽に」
やらなければいけないことが沢山あるのに、自分の力不足のため思うように進まない。気ばかり焦ってどれもこれも中途半端。自分の力のなさ、不甲斐なさに嫌気がさし、自己嫌悪に陥ってしまう。そんなときがないだろうか。
もちろん、やるからには完璧を期することは大切である。最初から適当でよいなどと考えていたのでは、できるものもできなくなるし、たとえできたとしても満足のいく成果は得られない。
だが、完璧を求めすぎて逆にそれがプレッシャーとなり、精神的にまいってしまっては元も子もない。
なすべきことはきちっとなそうという気持ちは持ちつつ、一方で、「神ならぬ人の身なのだから、完璧などあり得ない」「少しぐらいできなくても大勢に影響はない」と、ちょっと肩の力を抜いてみてはどうだろうか。
心を楽にして、できるところから一つ一つ取り組み、着実にものにしていけばよい。そうすれば次第に早く、うまくできるようになって、少しずつ自分が思い描く姿に近づいていく。おのずと自信にもつながってこよう。
校長 中村三喜
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2023年3月28日(火) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第13回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第13回目の言葉です。2023.3.28(火)
生徒の皆さんへ
皆さんも年齢を重ねるにしたがって、この気持ちがよく分かるようになってくると思います。私の78年の人生からの実感です。皆さんも友達について考えてみましょう。
「旧友」
帰省して旧友との再会。不思議なもので、どんなに離れていても、どんなに久しく会っていなくても、一瞬のうちに心は昔に帰り、思い出話に花が咲く。日々の張りつめた心がいつしか癒され、解き放たれていく。しばし旧交を温めて、次に会うまでの互いの息災を祈り、精進を誓い合う。
だが一方で、再会を約束しても、いつまた会えるのか、もしかするとこれが最後かもしれないという思いにときとして襲われることがある。実際、そうした危うい土台の上に人生は立っているのではないか。
一年経てば、親しい友も自分も、確実に一つ年をとっていく。それが自然の理である。そう考えれば、こうして今回も無事、相まみえたことが限りなく嬉しく、かけがいのない一時に思えてくる。
日常に追われ、周囲の誰もが自分のことで精一杯。そんな中でふと感じる寂寥(せきりょう)感。そのような時、自分をありのまま受け入れ、同じ時を過ごしてくれる友がいることは、お互いの人生において深い意味を持っていると言えるのではないだろうか。
校長 中村三喜
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2023年3月27日(月) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第12回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第12回目の言葉です。2023.3.27(月)
生徒の皆さんへ
以下の一文を噛み締めましょう。ポジティブな心の持ち方を言っています。大人でも生徒でも、私のような高齢者でも同じです。
「記憶」
遠い日のさまざまな出来事。「あの時は楽しかったなあ」と懐かしく思い出すこともあれば、「あの人に申し訳ないことをしてしまった」と、思い出すたびに後悔の念にさいなまされる出来事もある。
だが、誰でも昔の友達と話をしていて、自分ではすっかり忘れてしまっていることや自分の記憶と違うことを言われて、驚くといった経験をしたことがあるだろう。
それは人間の記憶がいかに曖昧なものかを物語っている。だから、自分がずっと気に病んでいることを、他人はもう覚えていないということも、実際、よくあるのである。
自分の行いや言葉が周囲に迷惑をかけたり、相手を傷つけたりしたと思うのなら、心から詫びて、二度と同じ過ちをしないよう肝に銘じる。そうすれば、あとはいたずらに過去を引きずり、悔やむ必要はない。
もちろん忘れてはいけないこともあるけれど、このように捉えることで気持ちが軽くなる。そして、それが、今を大切に生きることにもつながっていくと言えるのだ。
校長 中村三喜
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2023年3月24日(金) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第11回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第11回目の言葉です。2023.3.24(金)
生徒の皆さんへ
「貫く強さ」
人間というものはとかく他人の目が気になるものである。一つの事をなそうという場合にも、何かにつけて周りの人の動向が気にかかる。そして実際、事を進めるにあたっては、さまざまな人のさまざまな声が、直接間接に聞こえてくる。
もちろん暖かい励ましの声もあるけれど、なかには批判の声も混じっている。思いの外に厳しいものから明らかに誤解と考えられるものまで、批判の声もまたさまざまである。
この世の中に、どこから見ても批判の余地のないことなどはあり得ない。だから、批判があるのは当たり前で、その中から聞くべきものを聞けばよい。
そう思いつつも、なかなか簡単には割り切れない。心に波風が立ち、それがともすれば、なすべき事をなす決意を鈍らせる。
しかし、聞くべき批判には謙虚に耳を傾けつつも、同時に自分の信念を貫き通す強さを併せ持つことがやはり大事だろう。
傲慢であってはならないけれど、批判を気にしないとでもいうか、さまざまな批判にいたずらに心を労することなく、熟慮した結果を断固実行できる勇気と見識を養いたい。
校長 中村三喜
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2023年3月23日(木) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第10回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第10回目の言葉です。2023.3.23(木)
生徒の皆さんへ
皆さんは、人と比べる必要はないのです。
「努力すれば手の届く目標を自分で決めて、自分のペースで頑張り続ける」ことが重要なのです。それが「生きる力」だからです。
「回り道」
青葉が繁るこの季節、陽気につられ仕事も好調であれば、気分は上々であろう。ただ、一方で調子よくきていたものが、最初の曲がりかどを迎えるのもこの頃ではないだろうか。
自信とは不思議なもので、失いかけると一気に音を立てて崩れていく。加えて不安がつのれば、自己否定の悪循環に陥ることもしばしばである。
そんな時こそ、心をリセットして、一度肩の荷を下ろそう。自分を点検する最初の機会が来たと考えればよい。
目覚ましいスタートダッシュが切れればそれに越したことはない。けれども、カーレースでも適時ピットに入り、補給や修理、戦略の練り直しをするのが必須で、要するに走りっ放しでは勝てないように出来ている。人生も同じなのである。
それに近道もあれば回り道もあるのが人生ではないか。ともすれば近道を選びたくなるのは人情だが、あとからしみじみ幸運を感じるところこそ、回り道の奥深さであろう。
人生は長い。あせらず、時には回り道の風景を味わっておくことも得難い体験になるに違いない。
校長 中村三喜
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2023年3月22日(水) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第9回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第9回目の言葉です。2023.3.22(水)
生徒の皆さんへ
「苦難が来ればそれもよし、順調ならば更によし」、という気持ちを常に忘れなければ、どんな場面にも立ち向かえる。
「何事も結構」
恵まれた生活は結構である。だが、見方によっては恵まれていないほうが、些細なことにも大きな喜びを感じつつ日々を送ることができる。そういう意味では、恵まれない生活もまた結構だといえよう。
好況はもちろん結構だが、不況もまた結構。苦境に立ってこそ知恵をしぼり、打開策を講じる。だからこそ力がつくし、さらなる発展への契機ともなる。
眠れるのも結構だし、眠れないのも結構で、眠れないときは、物思う時が与えられたのだ、じっくりと物事を考える得難い機会だと思えばよい。
貧困はつらい。不況はつらい。眠れないのはつらい。しかし、不足を言っても仕方がない。不遇を嘆いても、それでどうなるものでもない。それなら、今の境遇を楽しむに如(ごと)くはない。
人間にはさまざまな姿があっていい。こうでないといけない、こうあるべきだということはないのである。
何事も結構、そう考えられれば、心が軽くなり、そこから人生や社会に対する見方もまた変わってこよう。
校長 中村三喜
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2023年3月21日(火) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第8回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第8回目の言葉です。2023.3.21(火)
生徒の皆さんへ
世の中に同じ人間はいない、一人ひとり皆違うのだ。親も、育った環境もみな違うのだ。だからこそ、自信をもって、自分は自分の道をまっしぐらに進めばいいのです。人と比べることはナンセンスです。
「奇跡」
細胞一個が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続して百万回当たるようなものだという。それが人間には六十兆個もあるのである。
これはまさに奇跡というしかないだろう。お互いがこの世に生を享け、生きているのは当たり前のことではなく、文字どおり有り難い、きわめて稀なことなのである。
誰でもさまざまなことに悩み、落ち込んだり、ときに困難に出遭って進退窮まるといった状況に陥ることがある。
そんなときは、自らの存在を客観的にみつめ、一人の人間として生かされている不思議に思いを馳せてみてはどうか。自ずと有り難いという感情が湧きあがってきて、小さなことにくよくよしたり悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなってくる。困難に際してどう生きていくべきかも冷静に考えられてこよう。
この世に自分はたった一人。そして、ここにこうして、今、生きている。この奇跡、その素晴らしさ。悩むことは何もないのである。
校長 中村三喜
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2023年3月20日(月) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第7回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第7回目の言葉です。2023.3.20(月)
生徒の皆さんへ
この世には同じ人間は一人としていないのです。自分に関わる様々なことは自分だけのものなのだ。人がどう思うか、どう見ているかなどと心配したり考えたりする必要はないのです。
「運命」
まさか自分がこういった人生を送るなんて思いもよらなかった・・・。来し方を振り返り、今ここにこうしていることの不思議さに、ふと感慨を覚える。
今の境涯は自ら選んだようであり、一方で、折々のさまざまな出会いと偶然によってもたらされたようでもある。しかし、さらに突き詰めていくと、こうなるようになっていた、これが運命だったのだという思いに行き着く。
お互い、これからどのような人生が待っているか、いつ何が起こるかはわからない。よいこともあれば、時に過酷な出来事に遭遇することもあろう。
だが定められた運命なら、すべて引き受けるしかない。運命に従いつつ、その時々の自分にできる精一杯のことをやっていけばよいではないか。そう感じれば安心感も得られよう。
たとえ困難に陥り、不本意な状況におかれたとしても、それは自分に与えられた貴重な試練。自棄になってみずから不幸を招くのだけはやめたい。
それが悔いを残さず、最後の最後に、生まれてきてよかったと心から思える人生の歩み方といえよう。
校長 中村三喜
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2023年3月17日(金) [NEW]
校長より生徒の皆さんへ【第6回】
おはようございます。
校長から生徒の皆さんへ、第6回目の言葉です。2023.3.17(金)
生徒の皆さんへ
12年前に起きた東日本大震災(2011年3月11日、14時46分に発生)の経験や、今も収束しきれていないコロナ感染問題の中で、以下を考えてみよう
「分断」
「宇宙から見た地球は一つの生命のようだった」。ある女性宇宙飛行士の言葉だ。地球上の何千万種もの生命は、生態系の一部としてつながり合っている。人間と自然環境は本来、不可分なものなのだ。
しかし現代文明は、自然や他の生き物たちを自分たちから切り離し、便利で快適な暮らしのために利用し続けてきた。そして今、一つの生命体としてのつながりを分断されたことに悲鳴をあげるかのように、地球環境に異変が起きている。地球温暖化はその最たるものだ。
もう一つ、現代文明が分断してきたものがある。人と人のつながりだ。産業化と資本主義の波は、若者を田舎から都会へと呼び寄せた。彼らは人間関係の濃密な故郷や家を捨て、都会の自由で気ままな暮らしを享受した。
競争社会は家庭を顧みずに働く企業戦士を、成熟社会は子供を産み育てることより自分たちの楽しみを優先させる男女を生んだ。家庭、地域は崩壊し始め、無縁社会という言葉も登場した。
しかし、失いかけて初めて、人々は大切なことに気がついた。人は人とのつながりのなかに生きており、そこで他者に役立つことのなかに自己の存在意義、生きる喜びがあるということに。
校長 中村三喜