3.31(月)新しい夢

3.31(月)新しい夢

在校生の方へ

在校生の方へ

学校から在校生の皆さまへのお知らせを掲載します。

  • 2025年3月31日(月) [NEW]

    3.31(月)新しい夢

    3月31日(月)
    生徒の皆さんへ
     

    「新しい夢」

     今の小学生に将来の夢として、なりたい職業を尋ねると、男の子ならプロスポーツ選手やゲームクリエーター、女の子なら保育士、医師、パティシエといった答えが返ってくるという。時代の違いはあるけれど、子供達の夢はいたって明快、語らう姿を想像するだけでも微笑ましい。
     ところが夢のとおり叶うかはさておき、大人になって職に就き、幾春秋が過ぎるうちに、いつしか新しい夢を持たなくなってしまう。
     いやいや仕事には常に目標があり、目標を達成すればまた次の目標が与えられ、倦むことはない。そう言い切れるならばそれはそれで結構であろう。
     とはいえ、目標は一つの目安にすぎない。まして目標達成のために汲々とし、真の仕事の喜びや自分を高める楽しさを見失ってはつまらない。
     仕事に限らず、いつも夢を持ち続けよう。日常の些事に追われて疲れを覚えても、夢を思い起こせば元気が戻ってくる。
     人生は夢あればこそ輝くことを忘れないでいたい。

    校長 中村三喜

  • 2025年3月30日(日) [NEW]

    3.30(日)持ち味を発揮する

    3月30日(日)
    生徒の皆さんへ
     

    「持ち味を発揮する」

     持ち味や個性というとき、私達は多くの場合、個々の際立った能力や力量を言う場合が多い。
     しかしそれだけでは,とりたてて才能といえるものがない人に持ち味や個性はないということになってしまう。
     何が自分の持ち味なのかわからず、自分に自信が持てないとか、自己肯定感が低いと悩む人の多くは、持ち味や個性の捉え方に迷うあまり、思い詰めてしまっているのではないだろうか。
     自分のことを知りたければ、まず外に出て、人と交わったり、一緒に体を動かしたりするといい(今はダメ。コロナ感染問題が終息してから)。すると、自分が本当に好きなことや自信の持てる何かが見つかると思う。「持ち味は縁によって開く」ということである。
     しかも、能力や才能だけでなく、たとえば花のように、そこにいるだけですでに持ち味を発揮している・・・・そのようなひとり一人であることを発見するのである。
     そして、その気づきによって、自己評価はもちろん、他の人を見るときにも豊かな見方ができるようになる。それは、たとえば単に短所や長所を見るような、いわばテクニックではなく、短所も長所も含めて「あなたは大切な人」と称え、すべてを生かす眼差しである。
     そのように見る素直な眼、心を具えていることが、私たち人間本来の持ち味ではないだろうか。

    校長 中村三喜

  • 2025年3月29日(土) [NEW]

    3.29(土)人財

    3月29日(土)
    生徒の皆さんへ
     

    「人財」

     親にとって、子供はいつまでたっても子供である。たとえ成人しても、子供が父親になり母親になっても、元気でやっているだろうかと気にかかる。もし辛い思いをしていれば、我がこと以上に心配し、代われるものなら代わってやりたいと思う。それが世の親の気持ちであろう。
     希望に胸を膨らませて新入生、新入社員が入ってきてほぼ2ヶ月。皆、そうした親の思いを一身に受け、愛情をもって育てられ成長してきた人達である。その人材をいかに導き、育てるか。後進の指導、育成は人生の先輩として果たすべき役割であり、責任である。
     とはいえ、速く成長してほしいと願うあまり、少しでも気になるとあれこれ口を出し、世話を焼くのは好ましくない。良かれと思ってすることが、かえって本人のためにならないこともある。放任もいけないし、過保護でもいけない。難しいことだが、その見極めが求められよう。
     いずれにせよ大切なのは、一人ひとりすべての人が、両親はじめたくさんの人に愛情を受けたかけがえのない人だということである。そのことを常に意識してその人と向き合いたい。

    校長 中村三喜

  • 2025年3月28日(金) [NEW]

    3.28(金)耐える

    3月28日(金)
    生徒の皆さんへ
              

    「耐える」

     今の人たちは、自らの力で道を見出そうとしないで、誰かが何とかしてくれるのを待っている。とても依頼心が強くなっている。
     依頼心が強いということは稚ということである。いつも誰かに頼り、誰かのせいにして、自分のことしか考えない。子供たちばかりでなく、そうした親もたくさんいる。
     人間とは不思議なもので、諦めた瞬間に意識は別の方向に向かってしまうものである。思いが薄れてしまえば、そこで目標への道は閉ざされてしまう。
     自分がダメだと思えばダメになってしまう。他人が何と言おうと、自分自身が強く信じてやらなければ前に進まない。
     生きていくことは、辛いことのほうが圧倒的に多い。でもその苦しさに耐え、努力を積み重ねることで、きっと喜びを感じることができる。努力は決して自分を裏切らない。
     苦しい状況に陥った時に、「頑張って耐えるんだ」と自らを励ますのは大切なことだ。しかし、その一方で、「人生は苦しいことのほうが多いのだから、今が普通なんだ」と思うのも方法ではないだろうか。要はものの見方、考え方だ。

    校長 中村三喜

  • 2025年3月27日(木) [NEW]

    3.27(木)傷つけない

    3月27日(木)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「傷つけない」

     見方によれば、人は日々、互いの心を傷つけ合って生きているのではないか。自分の無遠慮な振る舞いが人を不快にし、意味ありげな他人の言葉に棘を感じる、そうした、人を傷つけたり、傷つけられたりした経験は誰にでもあろう。
     ただ、それが大きな問題にならないのは、多くの人が寛容な心で水に流しているからに違いない。
     もちろん、時には傷つけられた怒りを溜めこむ人もいる。
     まして、自分が貶められ、相手が反省していないときなど、憤まんやるかたないことだろう。だからといって怒りをぶちまければ、また新たに傷つくだけである。
     まずは傷つく人を減らそう。そのためには、人の心の痛み、悲しみに共感できる力を、お互いもっと養おう。そうすれば、誰かが傷つきそうな場合に、早めにブレーキがかけられる。
     傷つくのは自分だけではない。誰だって傷つくのである。それに、「人を呪わば穴二つ」、人を傷つけようとすれば自分にも必ず返ってくる。そんな心の因果をよく心得て、人格を高め合いたい。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月26日(水) [NEW]

    3.26(水)幸運

    3月26日(水)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「幸運」

     乗ろうと思っていた電車に間に合いそうにない。諦めようかと迷ったが、ともかく急いで向ってみる。すると、その日に限って、電車が定刻より少し遅れていて乗ることができたといった経験が誰にでもあるのではないか。
     どうせダメだとゆっくり歩いていれば、きっと、間に合わなかった。こうしたことは日常の些細な出来事で、たまたま運がよかったのだともいえよう。
     ただ、人生において確かなのは、自らは何の努力もせずに、願っているだけでは、幸運を引き寄せられない。そして、しょせん無理だと考えてしまったら、どんな望みや目標も叶えられないということである。
     諦めてしまうのは簡単だ。人情として、とかく易きに流されてしまいがちだけれど、それでは充実感も達成感も味わえまい。挑んだ結果、たとえ事が成らなくても、できるだけのことはやったと思えれば納得もいく。
     何事も、とにかく最善を尽くしてやってみよう。希望を失わず、全力を傾けよう。もしかすると、あと一歩で目指す目標に手が届くかもしれないのである。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月25日(火) [NEW]

    3.25(火)言葉

    3月25日(火)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「言葉」

     大切な人を突然亡くし、悲嘆に暮れている相手には、どんな慰めの言葉も耳元を通り過ぎてゆくだけである。
     そのような言葉は一面頼りないものだけれども、人の人生を左右する力をもっていることも事実であろう。“あの人の一言を支えに、今日まで生きてくることができた〟”この言葉に出会わなかったら、今の自分はない〟。それほどの影響力があるのも、また言葉だといえよう。
     「物言えば唇寒し秋の風」のように、口は災いのもとだからと口をつぐみ、互いに思ったことを言えないのは、人間として生まれ、ともに生きているものとしてあまりに侘しい。
     たとえ、自分の気持ちなど分かるわけがない、同情はいらないと強がっていても、誰もが心の底では、自分のことを理解してほしいと思っているのである。
     真実の言葉は必ず相手の心に届く。人の気持ちに寄り添い、真心からの言葉をかけ合いたい。相手を慮りながら、自分の思いや考えを素直に伝えあいたい。
     そこからお互いの理解と、温かく豊かな関係がきっと築かれてくる。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月24日(月) [NEW]

    3.24(月)継続

    3月24日(月)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「継続」

     目指す結果を楽々と、早く手にできればいいけど、そうはいかないのがお互いの人生であり、勉強であり仕事である。
     まして初めて経験することに取り組むとき、すぐに要領はつかめない。工夫を重ね、研鑽に努めても、なかなかうまくいかないのが普通であろう。
     それなのに、人は往々にして、思うように成果が上がらないといって、自分は向いていないのではないか、他のことをやったほうがよいのではないかと心を悩ませる。
     だが、自分に向いているかどうかなど簡単にわかるものではない。また、向いていなくてもやらなければいけない場合もあれば、向いていると思うことをやれない場合もある。それが現実の姿である。
     だから、いたずらに心を惑わされず、ともかく目の前のことに没入しよう。これをやるのも一つの運命、必ず何らかの意味があるのだとの思いを定め、コツを会得できるまで、懸命に、なすべきことをなしていこう。
     継続はけして裏切らない。これが自然の理であり、成功の鉄則なのである。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月23日(日) [NEW]

    3.23(日)自然の理

    3月23日(日)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「自然の理」

     梅が咲いて鶯(うぐいす)が鳴き、桜がほころんで雲雀(ひばり)がさえずる。春から初夏へ、野山には草木が萌え、花々が咲き競い、小鳥たちが舞い歌う。小さい花も大きい花も、木々も小鳥たちも、それぞれに華麗で絢爛、精一杯の生命の躍動である。
     しかし、この豊かな自然の装いも、形さまざま、色とりどりの花や鳥があればこそであろう。「梅に鶯」の情景には、もとより格別の風情があるけれど、もしこの世に花は梅、鳥は鶯だけだったとしたら、とてもこの華麗さ、豊かさは生まれまい。さまざまでとりどり、百花繚乱の彩りこそが、やはり自然の理なのである。
     お互い人間も、同じ自然の理の下に生かされている。さまざまに違う人が、とりどりの個性を持っていて、その違いがそれぞれに処を得て存分に生かされるとき、華麗で絢爛、豊かな文化の花が開くのだ。
     違いを嘆かず羨まず、それぞれに力を尽くし、共々に助け合って、彩り豊かな人間社会を築く努力を重ねたい。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月22日(土) [NEW]

    3.22(土)鏡

    3月22日(土)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「鏡」

     鏡とはありがたい。いかなる時でも、まぎれもない自分を映してくれる。暮らしの中で鏡がなければどれほど不便であろう。自分の身のこなしが望ましい姿かどうかを映し見るために、鏡は不可欠な物である。
     自分を映すという点では、お互いの心も鏡に似ているのではないだろうか。人と人が交流する際、感応しあうのが人間というものだろう。己の傲慢なふるまいは相手の傲慢を呼び、謙虚なふるまいは相手の謙譲を惹起する。
     時に一方的な思い込みはあるものの、相手が自分に抱いている感情は、自分がその相手に抱いている感情が何がしか投影されているとは言えまいか。だからこそ礼節を尽くせば、礼節を尽くされる。まさに鏡のごとくなのである。
     人として生きることは、いかに他人とともに生きるかでもある。他人に誠実でありたいと望むなら、何が正しいのかを問いつつ、常に自分を省みる努力が求められよう。その試みのために、相対する人の振る舞いを我が姿見として、自らを律したい。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月21日(金) [NEW]

    3.21(金)興味

    3月21日(金)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「興味」

     “こんなことができたらきっと楽しいだろうな”、“自分もやってみたいな”。ともすれば日常に流されがちな日々の中で、ふと心を惹かれることに出会うことがある。
     そんなとき、“いつか機会があれば・・・・”といってやり過ごしたのでは、結局、何も変わらないまま終わってしまうことになりかねない。
     確かに、初めてのことに手を出すのは億劫だったり、忙しくて時間が割けないという思いや、自分にできるだろうかと躊躇する気持ちも湧いてくる。だが、人生を充実させて生きるために大切なことは、やりたいことが見つかればやっていくという積極的な姿勢ではないか。
     せっかく興味を抱いたのなら、一歩踏み出し、思い切ってやってみよう。そこからこれまで経験できなかった新しい世界が開け、日々の生活にも新たな彩りが生まれてくるにちがいない。
     何よりいけないのは、やっておけばよかったと、あとで悔やむことだ。人生は一度しかないのである。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月20日(木) [NEW]

    3.20(木)期する

    3月20日(木)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「期する」

     仕事やスポーツの上達は、一気にはいかないものである。一歩一歩、地道な修練を続けていくしかない。時に飛躍的に伸びることもあるけれど、それも過去の努力があってこそで、一朝一夕に大きな変化は望めない。
     だが、自分の心や行いは、変えたいと心に期せば、すぐにでも変えられる。それを、自分はこんなものだとか、そんなに簡単には変わらないといって、うじうじ、くよくよしていたら、変わるものでも変わらないのだ。要は変えようと決意するかどうか。その一点にかかっているといえよう。
     同じものでも、心のありかたによって、明るくも見えれば暗くも見える。だから、同じことなら、まだまだ変われる余地を持っているのだと明るく捉え、自分の心がけや行動の変えるべきをどんどん変えていこう。それを積み重ねていけば、お互いの人生をより好ましい姿にきっと近づけていけるに違いない。
     人の心は伸縮自在。持ち方一つで、心はいつもブルーオーシャン。青い大海原がどこまでも広がっているのだ。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月19日(水) [NEW]

    3.19(水)慣れ

    3月19日(水)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「慣れ」

     初めて何かに取り組むときには、誰もが緊張感を持ち、基本に忠実に、間違えないようにと十二分に気を配る。
     そして、難しさに嫌気がさしたり、行き詰まったりしながらも、少しでも上達しようと自分を励まし、何度もやっているうちにだんだんうまくなってきて、いつのまにか意識しなくてもスムーズに運べるようになる。
     だが、慣れというものは怖いものである。それはいずれ、ともすると惰性に変わっていく。惰性に流されていくようになれば、油断や気の緩みが生じ、思わぬ大きな失敗を招きかねない。また、そこで進歩が止まってしまうことにもなろう。
     大事なのは、慣れても慣れないことである。経験を積んで覚えたコツを生かして要領よく進めつつ、一方で、当初の緊張感と熱意を失わない。この微妙なバランスをとっていくところに、失敗を未然に防ぎ、自らをさらに向上させていく勘所があるのではないだろうか。
     慣れてきたなと感じたら、ときに初心に立ち返り、常に日に新たな気持ちで事に当たるように努めたい。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月18日(火) [NEW]

    3.18(火)感謝

    3月18日(火)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「感謝」

     たとえ天涯孤独の人でも、一人で生きているわけではない。衣食住は言うに及ばず、何らかのかたちで他人と関わりつつ、社会の恩恵を受けて暮らしている。
     そのことのありがたさを心に刻み、少しでも恩に報いるべく、自分のできることをしていく。社会の向上発展、周囲の人々の幸せに資するよう努めていく。そこに生きる意義があり、生きる価値があるといえよう。
     社会の発展のため、他人の幸せのためなどというと、自分にそんな力はない、日々の生活に精一杯で他を顧みる余裕などないという人もいるかもしれない。
     しかし、社会とつながっているということは、お互いにその中の意味ある一員だということであり、決して無用な存在ではない。また、一人一人がそうした気持ちを持たなければ、この世は索漠としたものになってしまう。そして、それは他人のためだけではない。誰かの役に立っていると想えれば、それだけで人は生きていけるのである。
     仕事や人生に倦んだら、周りの恩恵に眼を向けてみたい。感謝の心を常に忘れずにいたい。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月17日(月) [NEW]

    3.17(月)運命

    3月17日(月)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「運命」

     この世に永遠というものはない。どんな形であれ、身近にいるすべての人との別れがいつかは訪れる。
     まさか自分がこういった人生を送るなんて思いもよらなかった・・・。過去を振り返り、今ここにこうしていることの不思議さに、ふと感慨を覚える。
     今の境遇は自ら選んだようであり、一方で、折々の様々な出会いと偶然によってもたらされたようでもある。しかしさらに突き詰めていくと、このようになっていた。これが運命だったのだという思いに行き着く。
     お互い、これからどのような人生が待っているか、いつ何が起こるかわからない。よいこともあれば、時に過酷な出来事に遭遇することもあろう。
     だが定められた運命なら、すべて引き受けるしかない。運命に従いつつ、その時々の自分にできる精一杯のことをやっていけばよいのではないか。そう感じれば安心感も得られよう。
     たとえ困難に陥り、不本意な状況におかれたとしても、それは自分に与えられた貴重な試練。自棄になって自ら不幸を招くのだけはやめたい。
     それが悔いを残さず、最後の最後に、生まれてきてよかったと心から思える人生の歩み方といえよう。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月16日(日) [NEW]

    3.16(日)短所

    3月16日(日)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「短所」

     この世の中に完全無欠の人などはいない。百年に一人の天才であろうとも、所詮人は人である。言い換えれば、どんな人でも少しばかりは短所があろう。むしろあらを探せば、誰もがたくさんの短所と折り合いをつけて生きているのである。
     そう考えれば、自分の短所やコンプレックスにいたずらに心を煩わす必要はない。もしそうした思いから抜け出せないのなら、冷静に自分を見つめ、事実をまずそのまま受け容れることであろう。
     そして次には短所を個性ととらえ、いかに長所に転換することができるかを模索すればよい。そもそも短所があることによって己を戒め、謙虚になることができるし、自己修養に務める姿勢にもつなげられるのだから。
     これからの時期、多くの組織や学校では新入社員や新入生も基本を身に付け、本格的な仕事や学びが始まる。不安と期待が入り混じるなか、自分の短所をどこまで適切に処しきれるものか試してみよう。
     真摯な努力さえ続けていれば、短所を克服したり、何かでカバーしたり、あるいは長所に変換したりしてきっと一皮むけることもかなうに違いない。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月15日(土) [NEW]

    3.15(土)時間

    3月15日(土)
    生徒の皆さんへ
     
     

    「時間」

     「楽しすぎて時間の経つのも忘れる」「忙しすぎて時間が足りない」「今日も一日が長い」。
     ともすれば人は時間に対して様々な不平を言う。けれども、不平等だらけの世の中で、最も平等なものが時の流れであろう。
     たとえば一日の長さは、世界中同じで、老いも若きも関係ない。天才も凡人も、富める人も貧しい人も変わりなく、しかも、過去も現在もやはり同じ。古代ローマの人々も、中国の皇帝も、現代人と同じ長さの一日を生きていたわけである。
     それを時が経つのが早いと焦ったり、遅いと愚痴を言ったりするのは、人の勝手な受け取り方ではないだろうか。本来、時間を使う自分の心がけの問題であろう。
     肝心なのは時間の支配者は自分だと自覚することである。活用法を工夫して、効率重視に徹したり、あえて何もしなかったりと、そんな実験もしてみればよい。試み次第では、有効な時間の使い方が新たに発見できるかもしれない。
     常に充実した時を演出できる人でありたい。そんな「時の名人」ともなれば、人生も大きく変えられよう。
     

    校長 中村三喜

  • 2025年3月14日(金) [NEW]

    3.14(金)楽しむ

    2025年3月14日(金)
    生徒の皆さんへ
     

    「年度末・新年度をつなぐ休み期間を迎えて」

     毎年この時期を迎えると、新たな学期に入り生徒それぞれが抱く夢が実現されれば素晴らしいと思う。
     ただ、夢の実現には、まずもって行動することが必要だ。迎える新学期は、自信を持って、胸を膨らませて。チャレンジをスタートさせたい。
     新たな年度では、夢の実現のために、自分を省みて自分の強みを活かすことに専念してはどうか。いかなる妨げが生じようと断固たる覚悟を持って自分の道を進むことである。
     とはいえ、どんな人間でも時には弱くなる。弱くなればすぐに諦めや妥協が頭を過る。そんなものに屈しないよう、自分の夢を具体的な目標に落とし込み、実行の計画を立てよう。この夢は自分の幸せだけではない、お世話になった方々への恩返しでもあるのだから。
     

    「楽しむ」

     自ら進んで始めた習い事やスポーツも、なかなか上達しなかったり、勝負に負けてばかりいると、次第に嫌気がさしてくる。そして、ついにはやめてしまうということがお互い往々にしてある。
     だが、何事もすぐに成果があがり、うまくいくということはそうあるものではない。自分なりの工夫、努力をひたすら続けていくしかないのである。
     そのとき継続の助けとなるのは、やはり楽しいと思えるかどうかであろう。最初は楽しかったものも、出来映えや他人の評価、あるいは勝つことばかりに囚われる様になっては苦痛に感じられてくる。
     始めた頃の気持ちに戻って、とにかく楽しんでみよう。肩の力を抜いて、ただただ楽しむ。楽しければ苦にならなくなり、またやろうという意欲も湧いてくる。そんな日々を積み重ねてこそ実力が育まれ、自らの血となり肉となっていく。そうなればおのずと結果にもつながっていくに違いない。 楽しむ心が継続を促し、継続が真の力を生むのです。
     
    注)「校長から生徒の皆さんへ」の一文は本年3月31日をもって終了します。これまでに皆さんにいろいろの言葉を届けてきました。機会がありましたら一つでも読み直してもらえれば有難いですし参考になると思います。今後は、別の形で皆さんに訴えるものを記してみたいと思います。

    校長 中村三喜

  • 2025年1月22日(水)

    「茨城いのちの電話」への寄付金

    本校生徒の皆さんは、学校の自販機で飲み物を買ったことはありますか?
    実は、売り上げの一部が社会福祉事業のための寄付金にあてられています。
    この度、2024年の寄付金「36,660円」に対するお礼が「社会福祉法人 茨城いのちの電話」より届きましたので報告いたします。
    次に自販機で飲み物を買う際には、自分の行動が誰かのためになっていることを思い出してもらえると嬉しく思います!
    リンク:茨城いのちの電話HP

  • 2025年1月21日(火)

    茨城新聞文化福祉事業団による「愛の募金」~12/29 茨城新聞~

    茨城新聞文化福祉事業団による「愛の募金」についての記事が茨城新聞に掲載されました。寄付の際には、文化祭実行委員長の小沼翔太さん(2学年)が代表として茨城新聞社を訪問しました。

  • 2024年8月14日(水)

    8.14(水)原風景

    2024年8月14日(水)
    生徒の皆さんへ
     

    「原風景」

     私は1944年の生まれですので、今月19日を迎えると満80歳になります。そして、それはお盆の時季でもあるので、久しぶりに昔よく通った道や遊んだ場所を歩いてみると、幼い頃の記憶がよみがえり、懐かしさや、すっかり変わってしまった風景への哀惜、もう二度とあの頃には戻れないのだという寂しさなど、さまざまな思いがこみ上げてくる。
     同時に、家族や友だち、その時身近にいてくれた人たちの姿や言葉が思い出されて、それらが自分の物の見方や考え方の原点になり、今日まで折々に支えとなってきたことに改めて気づかされる。
     変わりゆく時代の中で、人は時に過去をたどり、いつまでも変わらない自らの原風景に立つ。そうすることで自分を確かめ、明日に希望をつないで、新たな人生を紡いでゆけるのだろう。
     そして、自分の生きた証もまた決して消えることなく、必ず誰かの心の風景に刻まれてゆくはずである。できることなら、その人が苦しいとき、迷ったときに立ち返る拠り所となって、勇気を与えられるような、そんな生き方をしてゆきたい。
     周囲の大切な人たちの心に、自分はどんな風景を残すことができるのだろうか。

    校長 中村三喜

  • 2024年4月9日(火)

    校長より生徒の皆さんへ【第18回】

    校長より生徒の皆さんに第18回目の言葉です。

     

    2024年4月9日(火)

    生徒の皆さんへ

     

    「新しい夢」

     今の小学生に将来の夢として、なりたい職業を尋ねると、男の子ならプロスポーツ選手やゲームクリエーター、女の子なら保育士、医師、パティシエといった答えが返ってくるという。時代の違いはあるけれど、子供達の夢はいたって明快、語らう姿を想像するだけでも微笑(ほほえ)ましい。

    ところが夢のとおり叶うかはさておき、大人になって職に就き、幾春秋が過ぎるうちに、いつしか新しい夢を持たなくなってしまう。

    いやいや仕事には常に目標があり、目標を達成すればまた次の目標が与えられ、倦(う)むことはない。そう言い切れるならばそれはそれで結構なことだ。

    とはいえ、目標は一つの目安にすぎない。まして目標達成のために汲々(きゅうきゅう)とし、真の仕事の喜びや自分を高める楽しさを見失ってはつまらない。

    仕事に限らず、いつも夢を持ち続けよう。日常の些事(さじ)に追われて疲れを覚えても、夢を思い起こせば元気が戻ってくる。

    人生は夢あればこそ輝くことを忘れないでいたい。

    校長 中村三喜

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