8.16(金)地獄と極楽

2024年8月16日(金)
生徒の皆さんへ
 

「地獄と極楽」

 昔、ある武家が白隠禅師に、地獄と極楽とはどこにあるのかと尋ねた。すると禅師は、武家のくせに死後のことを騒ぎ立てるのは臆病者だと大いにからかった。
 激怒した武家が刀を抜いて、禅師を切り捨てようと振りかぶったその時、「それが地獄じゃ」と禅師が叫んだ。はっと我に返った武家が刀を収め謝罪すると、禅師は、「今のが極楽じゃ」と諭したという。このように地獄や極楽は我々の心の中にあり、絶えず入れ替わっているのである。
 誰でも地獄よりは極楽の方に行きたいはずだ。けれども、日々、様々な事件が取り沙汰されるのは、事件を起こした人と同じ数だけの人がつい地獄に心を寄せられたからではあるまいか。
 対岸の火事と思っていても、いつどんな関わりで地獄の淵に立つか分からないのが世間というものであろう。
 心とは1日に何千回も移りゆく。常時平穏でいることは困難に違いない。しかし、たとえ地獄に取りつかれても、必ずすぐに極楽に戻ってこられる。そんな心がけを確立したいものだ。

注記:白隠慧鶴(はくいん えかく)
1686年1月19日(貞享2年12月25日) – 1769年1月18日(明和5年12月11日))。臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。諡は神機独妙禅師、正宗国師。

校長 中村三喜

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